街頭演説を行いました

平成30年3月27日(火) 8時00分から
静岡市葵区御幸通りの一角をお借りして、街頭演説を行いました。
今日は、お話しさせていただいた中から、
財務省による森友学園決裁文書改竄の問題と今後の日本の在り方、
憲法9条改正に関する見解について抜粋して掲載させていただきます。

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 本日、佐川前理財局長の証人喚問が行われます。
 私は、この問題の本質は、佐川さんが文書を改竄したとか、それを理財局が単独でやったかどうか、というところではなく、本来公平中立であるべき行政というものが、総理大臣の意向を気にしなければいけない状況にゆがめられてしまっているという、今の日本の権力構造にあると思っています。
 改竄を誰の指示でやったのかについて、今日、厳しい追及が行われるでしょう。そして、その結果もなかなか困難なことが予想される。しかし、問題の本質はそういうせせこましいところではなくて、財務省理財局という、国の中枢の中の中枢という行政機関のトップが、政治に対してそこまでの配慮をしなければならないというような今の日本の状況に問題があるのだと思っています。
 
 さて、今、安倍内閣の支持率が下がっています。国会の前では連日デモが繰り広げられています。しかし、私はこれが、森友あるいは加計の問題だけに終わってしまってはいけないと思っています。
 1960年代、日米安保闘争というものがありました。樺美智子さんという学生がデモ隊と警官隊との衝突に巻き込まれて痛ましい死を遂げられた。大変なデモが今にも増して繰り広げられていた。しかし、当時の岸内閣が日米安保条約を締結して退陣したとたん、潮が引くようにその運動は去っていきました。
こういったことの繰り返しが今の日本の政治状況を作っている。本来、与野党の対立は、スキャンダルとかそういったものではなく、国の在り方自体をどういう風にしていくのかについての大きな大局的な見地からの争い、考え方の差異によるべきものだと思っています。今の日本でいえば、例えば外交で言えば、戦後75年間続いてきた、アメリカの意向に沿うような今のやり方を続けるのが正しいのか、あるいは全方位外交、アジア中心の外交というような、アメリカとも仲良くしつつ、そのほかの国とも独自性をもって日本独特の外交を繰り広げていく、そういう独り立ちをすべきであるのか。もしくは、これは国防とも関係してきますが、一定の軍備を持った上でスイスのように中立を目指していくのか、はたまた憲法が謳う通りに諸国民を信頼し、国防は撤廃ないしは最低限まで縮小して理想に生きていくのか。
ところが、日本では大局的な見地が語られることはありません。憲法9条の問題でも、その文言だけに些少され、些末な議論が行われている。こんな状況で憲法だけ改正しても何の意味もないと私は思っている。もしどうしても憲法9条を改正するというのであれば、今の日本の在り方・・・戦後75年たっても立ち入ることのできない、武器も人も出入り放題の米軍基地、首都圏の空域の75%を日本の航空機が飛ぶことができない今の状況をいつまでも放置していくのか、それとも一定程度のものが言える国になっていくのか、そういった大きなこの国の在り方自体を考える必要がある。
しかし、今、残念ながら、こういった骨太の議論は、選挙でも国会でも行われることは少ない。
もし憲法9条について語るのであるならば、必ずそこに国の外交の在り方や国防の在り方をからめて話さなければならないはずです。「文言だけ手直しする」と言っても、そこにはそれ以上の意味が本当は込められている。あまり知られていませんが、2012年にアメリカのアーミテージという元国務副長官が、日本とアメリカの在り方をこういう風にしていったほうがいいというアーミテージ・ナイ・レポートというペーパーを出した。今の日本の安保法制、そして憲法9条の改正は、その筋書き通りに進んでいる。それが今の憲法9条の改正問題です。私は「今の憲法9条の文言が、自衛隊にかわいそうだから変える」という安倍首相の説明には納得はいきません。しかし、憲法を絶対に変えてはいけないとまでは私は思いません。国民の議論のもと、戦後75年を経て、憲法の改正がどうしても必要となるのなら、その本質をついたところでそれを議論するのはいいことだと思っています。しかし、憲法9条について、言葉の上だけ「自衛隊がかわいそうだから変える」というのは明らかに欺罔です。
 我々は言葉に騙されるということは避けなければなりません。
 私は安倍政権を批判していますが、それは自民党政権だからという理由ではありません。過去の自民党政権、例えば小泉内閣について、私は一定の評価をしていました。それはなぜか。それは、「なぜそれをしなければいけないのか、なぜその政策が必要なのか」を公にし、賛否はあるにしても正直に国民に問うたからです。
 日本に今必要なのは、厳しい現実をきちんと国民の目に提示し、大局的な見地から日本の行く末にとって本当に必要な選択を迫っていくことです。今のように、国民に選択肢が提示されないまま、重要な政策が次々と変更されていく姿にこそ真の問題点があると私は思っています。国の在り方について国民的な議論を呼び、どちらにするのかを決めていく、その中で憲法9条の議論もなされるべきです。それなのに、今は些末な議論に終始してしまっている。
 森友加計問題は重要な問題です。しかし、その問題を超えていったその先にあるべきは、スキャンダルで内閣が倒れるということではありません。正々堂々と、日本の将来の在り方について骨太な問題での議論が行われ、そこで支持されるべき政党が決められていくという、それこそが本当の民主主義であると私は思っています。