【国会報告】三権分立の気概を忘れるな。

私も参加させて頂いている日本維新の会・無所属の会統一会派は、昨日の衆院本会議で森雅子法務大臣の不信任案及び棚橋衆院予算委員長の解任決議案に反対し、両案とも反対多数で否決された。

私の属する会派が両案とも反対という結論に達したのは、年中行事として予算案成立間際に不信任決議が濫発されるという、そういったパフォーマンス政治から意味のある討議への脱却を図るというところ。

今国会では、新型コロナウイルスについての世間の厳しい目を意識してか、いつもの無意味に冗長な数時間にも及ぶ野党のだらだらした討論は一定の自粛が見られたが、それでも衆院予算委員長の解任決議案でのある野党の賛成討論は、受け狙いであることが明らかな格調に欠けるものであり、これが立法府における議論なのか、首を傾げざるを得なかった。

ところで、衆院本会議における不信任案への日本維新の会・無所属の会会派の串田議員による反対討論でも正当に触れられていた通り、黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題は、森法務大臣の不信任案への是非とは別個に、極めて由々しき問題だ。

検察庁は法務省に属する機関とはいえ、現代型民主主義の基本中の基本、権力の相互抑制のために立法、司法、行政の三権が分立されている中の司法を担うものだ。したがって、行政機関とはいえ高度の政治的独立性が求められている。裁判所と同様、時の政権に対峙することもありうる中立性を保持しなければならない。

 そして、政治的中立性を保つためには人事も独立性を保たなければならないことは言うまでもない。裁判官の人事が政治的に公平中立でなければ、裁判の公正など到底期待しえないが、検察官においてもそれは同じこと。

事は先進国の民主主義国家である日本の要を揺るがしかねない大きな問題であるのだ。

成り行きについては皆さん既にご承知のことと思われるが、簡単に説明する。

特別法である検察庁法に定められた定年(63歳、検事総長のみ65歳)が、一般法である国家公務員法の定め(理由があるときは1年を超えない範囲で勤務させることができる)に優先すべきことは当然であり、国家公務員法による定年延長の定めは検察官には適用されないことを、今までの政府答弁は明快に言明していた。

ところが、今回いきなり国家公務員法の規定を検察官である黒川検事長に適用して、黒川氏の定年を延長してしまったのだ。この無理な法適用・解釈変更について政府答弁が右往左往した挙句、弁護士出身である森雅子法務大臣が「必要な決済は取っている」と国会で答弁したが、その後の記者会見で、口頭で決済を行ったなどと説明するなど如何にも事後的な言い訳めいた苦しい弁明が続いているのだ。

そこまでの無理を行っている背景には、政権よりといわれる黒川氏を検事総長に据えることによって、検察をコントロールしようという内閣の意思が働いていると推認されるが、それ以外に動機はあまり見当たらない。

 

今回の件が桜などと違うのは、民主主義の基本中の基本である三権分立や法治主義を揺るがすものであって、法ではなく人による支配に日本を逆戻りさせかねない点だ。

この点について、各地検・高検のトップが集まる検察長官会同において神村静岡地検検事正が「今回の(定年延長)ことで政権と検察の関係に疑いの目が持たれている」

「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」
「検察は不偏不党、公平でなければならない。これまでもそうであったはず」
「この人事について、検察庁、国民に丁寧な説明をすべき」

とまで述べて批判した、と報道されている。一枚岩と言われる検察庁内部におけるこの批判がなされたことは、我々法曹にとって極めてショッキングなことであった。

アメリカではあの保守強硬派のボルトン氏でさえ、トランプ大統領と対立して実質的に辞任しているが、同様にトランプ大統領と対立して辞任した政府高官や閣僚は幾多もいる。そして、それが自らのキャリアの終わりを意味しない。

日本では、政権と意見が違っても、労働市場におけるにおける流動性の低さから、たとえ高級官僚官僚といえど中途退職することは困難であろうが、黒川氏は東京高検検事長まで務められている方であり、ここで退職されても弁護士として引き手数多であろう。

小泉政権の郵政民営化の時には、政治的な気概で人気絶頂であった小泉首相に敢然と反旗を翻された自民党政治家が何人もおられた。

東京高検検事長という、検察庁のNo.2にまで登り詰めた黒川氏は、三権分立という日本の民主主義を守るという大命題のために自ら身を処すことをお考えになっても良いのではなかろうか。

また、森法務大臣も今からでも遅くない。弁護士としてまた法務大臣として、アメリカの閣僚によく見られるように、信念に基づき、法に則った人事を行うよう総理に進言されたらいかがであろうか。