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今、最初の一歩を

 日本に降りかかっている暗雲が晴れない。

 その理由は複数あり,しかも解決策はほとんどない。

 まず,最近になってようやく目が向けられた少子高齢化および人口減少。先見性がある者は既に1980年代からこれを見越した対策を打ってきた。日本最強の圧力団体である日本医師会と誰よりも人口動態の見通しに詳しい厚労省は、タッグを組んで医師数を一人たりとも増やさない政策を採用させ、医師会の力を絶対的なものに昇華させた。しかし、政治においては、与野党共にこの国の重大事に関心を寄せてこなかった。消費活動の減少による商店街の衰退、極端な人手不足による中小企業の苦境、人口減少が抹消から始まっているが故の中小都市の縮小、などが目に見えるようになった最近までこれは放置され、政治課題にすらされなかった。

 次に、破綻寸前の財政。この10年、歳入不足は30兆から58兆円の間を推移し、国債の発行額もほぼ同等の水準だ。つまり、毎年少なくとも30兆円にも登る巨額の財政赤字が生じており、それが国債により賄われている。当然、国債残高は指数関数的に増加する。一方で、国民の貯蓄率は減少し、国債を購入する余力は金融機関にも無くなった。そのため、黒田氏が日銀総裁となって以来、「異次元緩和」の名の下に実質上の財政ファイナンスが行われ、国債残高は遂に2018年9月に999兆円に達し、うち44.6%は日銀保有だ。

 外交、そしてこれに密接に関連する国防も、国際情勢から置いていかれている。隣国であり歴史的にみて緊張関係にある中国が、まさに米国と次の世界の盟主を巡って真っ向からの争いを繰り広げ、世界もそれに翻弄されている。米国の相対的な力の低下に伴い、財政余力のない日本も米国の軍事的世界戦略の一部に組み込まれ、海軍力とミサイル防衛システムを中心として身の丈以上の支出を迫られ、専守防衛の一線を越えようとしている。近時行われている安保法制の整備や憲法9条改正もこの延長線上にある問題だ。

 直接的には政治問題ではないが、日本企業の国際競争力の喪失も未来に大きく影を落とす。製造業で国際競争力を維持しているのは自動車産業など一握り、新興企業は、国内では有名で幅を利かせるが所詮はガラパコス産業、国際的競争力は皆無に等しい。米国、中国は次々と世界的企業が輩出しているが、日本では絶えて久しい。その理由を遡っていけば、新しい企業に不可欠な真の意味での創造性や伸びる隙間の欠如というところだろうが、この土壌を耕すのもやはり政治であり行政の守備範囲だ。

 では、こういった課題に対して日本の政治、政党政治は機能しているか。この一年間、国会や財務金融委員会に籍を置き、実体験を通して見てきたが、機能不全という一言につきる。

 先に挙げた4つの基本的課題について、正面から論戦が張られたことが一度でもあっただろうか。衆院本会議における論戦では森友・加計問題などについては、関係のない法令審議の場面でさえ執拗に取り上げられるが、簡単な解決策は存在せずそれ故に各政党の真価(何を存在理念とし、どこに優先順位を置くのか、大事にしている対象はどこにあるのか(広く一般国民か企業か))が問われる基本的課題について骨太の議論がなされたことは記憶にない。私が属している財務金融委員会は、まさに財政にかんして専門的議論が行われるべき委員会であり、日銀の黒田総裁も度々参考人として出席され、質疑の場に立たれている。しかし、質問時間の殆どを占める野党委員の質問は、やはり森友・加計の細かい言葉尻を捉えるような議論や財務省関連のスキャンダルに費やされ、国の財政再建の在り方やその具体的な手法についての突っ込んだやり取りは行われて来なかった。情熱を傾ける対象が偏ってしまっている。一方の与党議員は、地元対策のような地銀・信金を巡るミクロな話が中心だ。また、折角、黒田総裁が出席されても、「ご意見を拝聴する」という感じでの質疑が多く、異次元緩和自体の問題点や出口政策の欠如に鋭く切り込むような場面はあまりみられなかった。

 おそらく、この政治の機能不全がこのまま続けば、日本の将来は暗雲たるものとならざるを得ないであろう。高度成長期およびそれに引き続くバブル期は、誰が舵取り役を負ったとしてもそれなりの結果が得られたであろう。取り巻く全体の状況が良ければ企業でも国でもトップではなく現場が自ずと組織体を牽引していく。しかし、困難な状況に直面した場合、右にすすむのか左に舵を切るのか、舵取り役に人を得なければ船は難破する。今の国会および政党のあり方では心許ないと感じているのは私だけではないだろう。

 ここで政治改革についていくつかの提言がある。大上段に理念を振りかざすものではなく、もっぱら方法論に属するものだ。

まず一つ目は、「党議拘束」を止めることだ。議院内閣制においては党議拘束が必要との議論もあるが、全国民の代表が国会議員であるという大前提からすれば、むしろ党議拘束がある方がおかしい。党議拘束がなければ議員一人ひとりの選択が鮮明となり、その鼎の軽重が問われることとなる。議員全体の質を向上させることとなろう。

二つ目は、国会(本会議・委員会)における議論について、きちんと批評するシステムを作ることだ。理想は、大マスコミが各マスコミの理念に基づきこれを報じることだろうが、現実的に期待できない。ネットで定点観測的にこれを行う組織(衆参で委員会も相当数あり、個人で網羅的に行うのは物理的に不可能だろう)が出来ることを期待したい。ちなみに、私は先の臨時国会における衆院本会議および財務金融委員会での質疑とこれに対する評価を個人的に行い、SNSやHPで公開してみた。

 三つ目は、政党助成金を増額し、増額分の使途としてシンクタンクの設置を義務付けることだ。各党の議論を見ると明らかに掘り下げ不足・研究不足のものがみられる。国の行く末を決める国会での議論は、十分に検討され成熟されたものでなければならないことは明らかだ。

 今の日本が将来性において乏しいと感じられる、その責任の多くは政治と行政にある。まずそこをかなり根本から変えて行かなければこの国は立ち行かなくなる。また、国民の政治離れが言われて久しく、投票率の低下や世代別投票率をみてもそれは明らかだが、その原因は政治に専門性やダイナミズムが欠如し、魅力が乏しいからではないか。国権の最高機関で、「エー」などという稚拙な野次が飛び交っているようではだめだ。最初の一歩を踏み出すのは今だ。